タイトルイメージタイトルイメージ 本文へジャンプ

 聖イエス会のメンバーは、「シャローム」という美しい言葉であいさつを交わします。それは聖書の言葉、ヘブル語で「平和」という意味です。本当に幸福な人生を生きるためには、まず自分自身の心から、怒り、憎しみ、争いの原因である罪が取り除かれ、神の平和が宿らねばなりません。世界の平和もまた、一人一人の心の平和から始まるのです。

教義 (わたしたちは信じます) 誕生 (神によって生まれた)
 
 ◆ 聖イエス会は聖書(旧約と新約)を、天地宇宙を創造し、歴史を動かしておられる神のみ言葉であると信じます。事実、世界の歴史は聖書の預言どおりに動いてきました。 また、聖書の教えに従って、信じ行動する時、必ず神と出会い、聖霊を受け、確実に永遠の命を自分自身のものとすることができるからです。
 聖イエス会は、その名のとおり、イエス・キリストをすべてとします。キリストは永遠の始めから、御父と共にすでに存在しておられた神の御子であり、まがいもなく神であられることを信じます。このお方が、人類を罪から救うために人間の姿となってこの世界にこられ、私たちすべての者の身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださいました。この大きな犠牲によって、だれでもイエスを神の子、自分の救い主と信じ、み名を呼んで救われることを信じます。 
 ◆ 一九三八年一月九日夕七時、満州の奉天市(現在の中国・瀋陽市)の日本人教会牧師であった大槻武二師に、キリストが出現されました。その瞬間、キリストの生命、キリストの力が牧師の内に宿り、牧師の手を通して、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返る」というキリストの奇跡が再現され、大センセーションがまき起こりました。多くの人々が罪を悔い改め、真の神を信じるようになりました。
 日本に帰国した大槻牧師は、第二次大戦中も、政府や軍部のキリスト教弾圧にもめげず伝道を続けました。終戦後の一九四六年一月五日、再びキリストは大槻牧師に御声をかけられました。牧師は神のお示しどおりに、新しい教会「聖イエス会」を創立し、欧米化されたキリスト教ではなく、キリスト直伝の、オリジナルのキリスト教を伝え始めたのでした。

 ◆ 聖イエス会のメンバーは、人間の最高のモデルであるイエス・キリストに、似た者となることをめざし、とくに、その清さと愛においてキリストにあやかりたいと願っています。
 そのために、聖書をよく学び、よく祈り、礼拝に出席します。神より与えられた尊い命を、自分の欲望や野心のためにのみ用いるのではなく、他の人々の幸福のために役立てます。いつも貧しい人や苦しむ人のことを考え、贅沢や無駄をさけ、互いに助け合います。
 心を汚すような読物、映画、テレビをさけ、家庭崩壊の原因となる飲酒、かけごとをせず、純潔を尊び、正式な結婚によらない男女関係を持ちません。何事においても人と争わず、すべてを人と平和に過ごすように努力いたします。 
 ◆ 聖イエス会は世界と人類のために働きます。全世界、全人類が、世界の創造者、人間の創造者である唯一の真の神のもとに、一つの家族となるようにと祈り、働きます。赤旗をふったり、デモ行進をする方法によってではなく、一人一人の心から戦争の原因を取り除き、真の平和を与えることによって世界の平和を実現していきます。
 聖書の預言にしたがって、世界平和の鍵であるエルサレムの平和の実現のために努力します。エルサレムの平和が実現しない限り、世界に平和はなく、エルサレムに平和の王であるキリストがお帰りになるまでは、決して、世界の救いは達成されないからです。聖イエス会は、世界的・歴史的視野に立って人類の平和と幸福を実現するために働きます。
生活 (キリストのように) 使命 (世界と人類のために働きます)
 

御名の福音

 聖イエス会が今日、神の祝福を受けて急速に発展してきたその最大の理由は何でしょうか。それは、「神の御名」の働きによるのです。人々が造り変えられ、清くせられ、悪習慣から救われ、また病気の人もいやされているのは、神の全能の御名の働きなのです。
神は霊でありますから、人間の目でみることも、手で触(さ)わることもできません。それでは人間は、どうして神を知ることができるでしょうか。旧約聖書の出エジプト記第3章に、あの十戒で有名なモーセが、神と出会う場面があります。神は姿を現されたのではなく、ただ「我は有りて在る者なり」という不思議な御名を告げられました。
 神はまたモーセに言われました。「わたしは主の名(神としての名)をあなたの前にのべるであろう。・・・・・・しかし、あなたは私の顔を見ることはできない」(出エジプト33:19)と。
 これがいつも神が御自分を現される方法でありました。人間の場合でも、「私はOOです」と名乗った時、そこにその人自身がいるように、神は姿こそ見えませんが、「我は有りて在る者なり」「我は全能の神なり」「我は主なり」と御名を名乗られるとき、そこに神は御自分を現されるのです。そして、この御名の中に、神御自身が、永遠の命が、愛が、人間を変える力が、そして、病気をいやすダイナミックな力が宿っているのです。ですから、聖書は「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」(ロマ10:13)と教えているのです。神が人となられたキリストも「我は主なり」「我は復活なり命なり」「我は道なり真理なり命なり」と神としての御名を名乗って人々を救われました。
聖イエス会は、神の御本質そのものである御名、全能の力のこもった御名、愛そのものである御名を伝えます。聖イエス会が伝えるこの聖書的な福音(よい知らせ)のことを「御名の福音」と呼んでいます。


しののめ合唱団

 聖イエス会は音楽の盛んな教会です。ほとんどの教会に、子どもと大人の聖歌隊があります。さらに、全国の聖歌隊から選抜されたメンバーによる「しののめ合唱団」があり、平和運動の一貫として、海外でもコンサートを開いています。すでに過去12回の海外演奏旅行を行い、オランダ、スイス、イギリス、イスラエル、アメリカ、カナダ等を訪問しました。信仰的にも、音楽的にも非常に高い評価を受けています。子どもたちは、大きくなったら「しののめ合唱団」に入ることを夢見て、一生懸命がんばっているのです。

シャハル管弦楽団

 1998年に、聖イエス会の全国の教会からの有志約50名によって結成されました。下は中学生から、上は60代まで、学生、社会人、主婦、聖職者、そしてプロの演奏家と多彩なメンバーで構成されています。
「シャハル」はヘブライ語で、旧約聖書(口語訳)詩編第57編8節「わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。」の「しののめ」(夜明けの光のこと)を意味しており、その演奏が人々の心の中に、しののめの輝きのような希望の光を照らすようにとの思いが込められています。将来は、すでに海外で演奏を行っている「しののめ合唱団」と共に、演奏旅行に出かけたいとの夢をもっています


アンネのバラの教会・ホロコースト記念館

 聖イエス会しののめ合唱団は、第一回海外演奏旅行中、イスラエルのナタニヤにおいて、アンネの父、オットー・フランク氏との奇跡的な出会いを得ました。その出会いを記念して、西宮市甲陽園にアンネ・フランクと600万人のユダヤ人犠牲者の慰霊のために「アンネのバラの教会」が建設されました。オットー・フランク氏より贈られためずらしいアンネの写真や、貴重な形見の品々が展示されており、週末ともなれば、見学者でにぎわっています。 また1995年には、広島県福山市の御幸教会内の敷地に、ホロコーストの犠牲となった150万人の子ども達を記念する日本最初の「ホロコースト記念館」が完成し、日本国内のみならず海外でも大きなニュースとなりました。戦争を知らない若い世代の人々が、ここで戦争の恐ろしさと、平和の大切さを学んでいただきたいと願っています。